翌日。
 学校に行くためにハンガリーに渡された制服は、いつも私が着ているものではなかった。先日、雨の中を駆けたせいでびしょ濡れになったからハンガリーがクリーニングに出したらしい。それは、しょうがないと思う。
 ただ、イギリスと体験したことを別の人物で再び体験させられると、より一層イギリスへの思いが強くなるんだ。あのときは自分の制服が無事だったから、少しだけ齟齬を感じたけれど。
 イギリスに会いたい。でも会えない。…会って、何を言えばいい?
 今の私には答えなんて見つけ出せそうもないけど、でも自分で見つけないといけないんだ。


「やっぱり、学校行くの怖いよね?」


 自室で制服に着替えてから再びハンガリーのもとへ戻ってくると、開口一番、そう聞いてきた。
 きっと、『学校』の事だけではなく『イギリス』のことも、その質問には含まれているのだろう。


「怖くない、って言ったら嘘になるかも。だけど、学校には行かなくちゃ」
「そう…」
「うん、大丈夫…」


 言った自分も「全然大丈夫じゃないだろ!」と言いたくなるくらい暗い声で言っちゃったな、と思って下を向いたら、突然ハンガリーに抱きしめられた。突然すぎて私の声は上ずった。


「はっ、ハンガリー?!」
…無理して笑わなくていいよ」
「え…」
「辛いときは、誰かに言ってね。一応言っておくけれど、私はの味方だよ」
「っ…!」


 なんてことを…なんて嬉しいことを言ってくれるんだ!
 出会って間も無いのに、こうして抱きしめて、味方だと言ってくれる。私はなんて素敵な友人を持ったんだろう。
 そうだ、この温もりは…。まるで、元の世界にいる幼馴染と一緒にいるようだった。
 彼女も、私が辛い時はこうやって抱きしめてくれた。
 あの子とハンガリーは、まったくの別人だけど、懐かしさと、そして嬉しさで涙が溢れてきた。


「ば、ばかぁ!なんで学校行く時にそんな湿っぽいこと言うんだよー!」
「ふふっ、少しは元気出た?」
「…うん、ありがとう」


 泣いているけれど、私は少しだけ元気が出た。


「よし、それじゃあ行きましょ!」


 ハンガリーのその声によって私達は家を出た。
 いつもはオーストリアさんと来ているらしいけど、今日は私に気を使ってくれたのか私とハンガリーの二人で学校に来た。別にいてもいいけれど…。あ、でもあまり面識もないからきっと、オーストリアさんは困るだろう。いなくて正解だったかもしれない。私は誰とでも仲良くなれる自信があるので大丈夫…だと思うけど。




 学校につき、教室が違うのでハンガリーとは途中でわかれた。
 授業も順調に進み、お昼の時間になって日本くんに誘われたが、私はそれを断って購買で買ったパン(自棄になって買い過ぎて両手いっぱい。購買のおばちゃんには友達の分と言った)を持って屋上に向かった。




 ギィ、と重く鈍い音を立てる扉を開け、屋上に出る。
 頻繁に人がくるのか、ベンチが置いてあったが今日は無人らしく、私個人の貸切状態になった。
 ベンチに座って、パンの袋を開けると同時にゴンッ!と何かがぶつかる(落ちる?)音がした。ついでに「いってぇ…!」という声。って、この声…。音のしたほうはこのベンチからは死角で見えないので、直接向かう。やっぱりあいつだった。そいつは頭を抑えながら床でのたうちまわっていた。


「プロイセン?」
「うわっ!何でお前がいるんだよ!」
「えっと…一人で哀愁を感じながらお昼食べてましたが何か?」
「そうか。俺は一人に楽しさを感じながら寝て…っておーい!なんで俺の腕を引っ張ってんだー!」


 なんで、ってなんでだろう。と思ったけど、私の口からは言葉が出ていた。


「本当は、一人なんていやなんだよ…」


 あれ?あれれ?
 …なんてこと言ってるんだ私は!


「お前…それってわざわざここにいる俺をさそ」
「いや、別にプロイセンじゃなくて誰でもよかったんだけどたまたま屋上にプロイセンがいただけだからそこ勘違いされると困る」


 捲し立てるように一気に言うとプロイセンの顔が引き攣った。
 自分でも何言ってるのかよくわからないので、もしかしたらプロイセンを傷つけるようなこと言ってるかもしれない、と思ったけど、まぁプロイセンは強い子だからきっと大丈夫だろう。


「そ、そうかよ」
「うん。ということでお昼一緒に食べようか」
「おう」


 わざわざプロイセンを引っ張ってベンチの方まで行くのも疲れるので(こんな普憫な子のために疲れたくは無い)、その場に腰を下ろして食べることにした。
 買ってきたパンの半分をお昼がなくてひもじい思いをしているプロイセンにあげた。…購買のおばちゃんに言った嘘が真になってしまったけど、どうせ一人で消費できるわけもなかったので、これは別にいいかな、と思う。
 あ、そうだ…。


「そういえばさ、この前のお礼してなかったよね」
「あ?別に気にしてねぇよ」
「プロイセンが気にしてなくても私が気にするんだよ。ってことで、このパンがお礼ってことで!ありがと」
「そりゃどーも」
「どういたしまして」


 そうして、この授業がわからないとか、誰はおかしいとか、いろいろな話をしてお昼休みは刻々と過ぎていった。
 お昼終了間近の鐘が鳴って、よーし教室に戻るか!と扉の方に向かったらベンチに誰かが座っていた。


「…!」


 私達の気配に気付いて振り返ったその人の顔を見て私の全身が凍りついた。寒気すら覚えるほどなのに、背中には汗が伝っていた。呼吸が荒くなる。顔を見ることが出来なくて、下を向く(目が合う前に私は下を向けただろうか)。前へと踏み出すことが出来ないのに、反して手と足は小刻みに震えている。
 動けない私の変わりに口を開いたのはプロイセンだった。


「イギリスじゃねーか」


 私に彼の名を口にすることはできなかった。口にした瞬間、何かが崩れるような気がした。
 私のことなど御構い無しにプロイセンとイギリスは会話を続けた。


「あの女はどうしたんだ?」
「ここにはいない。聞いてどうなるんだ?」
「そうかよ。じゃあお前もこいつについて聞くなよ」
「こいつ?」
「行こうぜ」


 気は動転しているのに、体は動かない私の手を、先日の雨の日のようにプロイセンは強引に引っ張っていった。
 扉を開ける前にプロイセンが振り返ってとんでもないことを言った。


「あの日、生徒会室に最初に来たのはだ」
「なん…だって…?」


 言わなくていい。言わなくていいのに…。
 明らかに驚いているイギリスの声。
 どうしてそんな…。別にイギリスは傷つかなくていいのに、プロイセンはそんなこと言うのだろうか。
 乱暴に扉が開け放たれ、閑静な屋上という世界から喧騒な校舎内に入る前に私が見たイギリスの顔は、今にも泣きそうな顔をしていた。
 やっとのことで私の手は動いたけれど、イギリスに届くことはなく…彼と私の世界を隔てるように扉が重い音を立てて閉まった。

(俺は、また大切なものを失うのか…)