ちゃぷ―――――…ん
 下校時刻はとっくに過ぎ、空は真っ暗で月の映える夜だった。俺は生徒会の用事で遅くまで学校に残っていた。そろそろ帰るかー、と思い昇降口を出たときに聞こえた「ちゃぷん」という水音。
 今日は雨なんか振っていない。そして近くには海、川、湖など何もない。しかし俺の耳には「ちゃぷん」という場違いな音が聞こえた。幽霊、か…?嘘だろ!
 待てよ。もしかしたら屋上のプールかもしれないな!いや、でも幽霊だったら…。(ぶるっ)
 ああぁあっ!もうどうにでもなりやがれ!幽霊でも菊の話す妖怪でも何でも来い!
 俺は気付いたらプールへと繋がるドアを開けていた。

 そして俺の眼に写った光景は、水面に人が浮かんでいるというものだった。プールサイドを小走りで駆けて溺者と思しき奴に近付いた。


「お、おい!」


 溺れているのかと思って慌てて声をかけてみれば、相手は水底に足をつき平然とこちらを見た。


「あれ?アーサーじゃん。こんなところで何やってるの?」
「その質問は俺がすべきだろ!」


 誰かと思えば水泳部のじゃないか。何なんだ驚かせやがって…。それにこんな時間に普通は立ち入り禁止のプールに入って何やってるんだコイツは…。こんなところで何やってるのか聞きたいのはこっちだっての。


「やっぱりこんな時間にプール入ったらダメだよね」
「当たり前だ。それで、何やってたんだ?」
「えーっと、みんなに内緒でー、お月見しつつー、着衣水泳!」
「最初と最後がどうかと思うんだが…。水着は着ないのか?」
「着てるよ。下に」


 言うとは水を含んだスカートを持ち上げた。はプールに入ってるし俺はプールサイドにいるのでよくは見えないが、恥ずかしげもなくそんなことするということはちゃんと着ているんだろう。べ、別にの水着姿を見たいわけじゃないからな!
 そう。は制服を着てプールに入っていたから余計に溺れているのかと思ったんだ。冗談きついよな本当に。泳ぎたいなら水着になればいいのにな。

 
「なんでわざわざ着衣したまま泳ぐんだよ…」
「えっ!この水を含んだ重い服の感じが最高にいいんじゃん!わかってないなーアーサーは」
「わかるか!」
「じゃあアーサーも入りなよ」
「は?」
「ていやっ!」


 ペシャッ!


「っ!」


 嫌な音がしたと思ったら俺の制服が濡れていた。ズボンだけでなくワイシャツまでしっかり。


!何しやがんだお前っ!」
「あはは!もうここまで来たなら入っちゃいなよ!着替えなら部室にある男子のジャージ着ればいいし」
「着替えの問題じゃないだろ!」
「はぁ〜。ここまで来てんのにいつまで渋ってるんだか。アンタ本当にチン(ピー)付いてんの?」
「なっ!お前!少しは恥じらいってものを…」


 グイッ


「そぉい!」
「ちょ、まっ!」


 この時間、プールは立ち入り禁止のはずだしも先生とかに許可貰わないで泳いでるんだよな?なのにこんな音出していいのか?
 のせいで俺がたてた音について、もはや他人事のように考えたくなるほど俺は呆れていた。


「イェーイ!これでアーサーも同じ穴の狢だねぇ!」
「イェっ…。はぁ。先生が来たらのせいだからな」
「はいはーい」


 は俺が入水したのを確認すると(自分で入れたくせにな)、平泳ぎで向こう側まで泳いでいった。
 あっというまに向こう側まで泳いで、クイックターン。そしてクロールでこちらまで戻ってくる。無駄なバタ足はほとんどない。こちら側の壁にタッチするとは顔をあげ俺の方を向いた。


「さすが水泳部。あっというまに戻ってきたな」
「…アーサー、一つ訂正」
「なんだ?」
「水泳部じゃなくて、『元』水泳部」
「え?」


 そしては俺がここに来た時のようにプールに仰向けに浮かび始めた。
 最初は溺れているように見えたが、改めて見ると不思議な光景だった。
 水面に静かに浮かび、月明かりに照らされるそれはまるで…海で人魚が体を休めているようだった。
 

「負けちゃった。昨日の大会で、私の部活、終わっちゃった」
「そう、か…」
「部員達の諍いや、先生に怒られたりとか、辛いこともたくさんあったけど、同じくらい楽しいこともたくさんあった。部員と一緒に遊んだり、新記録が出たり、試合で勝ったりすれば凄い嬉しかった。だけど、それも、昨日で終わり…」


 だんだんの声が涙混じりになるのがわかった。
 涙声になってもは喋り続けた。それが、俺の心に響いた。





 俺がにされたように…いや、それよりは幾分か優しく、だけどぐいっと、を抱き寄せた。


「ぅわっ!あっ、アーサー?!」
「もう制服は濡れちまってるし、いいから、いくらでも濡らせ」
「なっ…」
「泣きたいときは、精一杯泣けばいい。泣いて泣いて、それから笑えばいいだろ。我慢しなくていい」
「アーサー…」


 必死に塞き止めていた川が流れ出すように、は涙をながし、しゃくりあげた。
 そのあいだ、俺はずっとの頭を撫でてやった。昔はアルフレッドの世話とかしてたからな。慣れてるんだ、こういうのは。ただ、泣きやんではくれなかったけどな…。
 しばらくたって、が顔をあげた。目が真っ赤じゃねぇか。兎かお前は。


「ありがと」
「別に礼を言われるほどのことなんてしてねぇよ」
「素直じゃないね」
「うるせぇよ」
「あ、よく考えたらさ、部員とは引退しても遊べるし、泳げなくなるわけじゃないよね!泣いて損した!」
「なっ!せっかく俺が胸を貸してやったっていうのに何だそれは!」


 人が折角好意(…?)で慰めてやったってのに…こっちは胸貸して損したっつーの!


「アーサーに見られるなんて生き恥だわ。何に利用されるかわからない…」
はそんなに泣いたことを言いふらしてほしいんだな。事実だけに…」


 言い逃れは出来ないっての覚悟してんだろうな?
 そう続けようとしたときに


「でも、悔しかったのには変わり無くて泣きたかったのは事実だから、やっぱりありがとう」


 にっこり、と不意打ちの笑顔。
 そんなもの向けられたら、怒るに怒れないだろうが。
(胸を貸した『好意』の意味も、いつかわかるだろうか)



の涙は浪に揺れ

(先生ー!さんとアーサー君が風邪でお休みだそうです)